俳優としてくすぶり続けた日々
“半ツキ”というギャンブル用語がある。麻雀であれば、いい手が揃っているのに上がれない。競馬であれば、3連単でひとつだけはずす。猿田彦珈琲社長の大塚朝之(ともゆき)の20代前半までの俳優人生がまさにこの半ツキだった。最終オーディションまで残るものの役を得られなかったり、役を手にしたと思ったら、映画の製作が頓挫(とんざ)したり。半ツキは、もう少しで勝利に手が届く状態ではない。勝つための決定的な何かが足りない状態だ。だからギャンブラーは、半ツキが続いたら勝負を諦める。
「俳優としてやっていける自信はありました。でも今思えば、俳優で食っていこうって気合も、努力も、ハングリー精神も足りていなかった。そんな中途半端な状態だったから25歳の時、すぱっと俳優になることを諦めました。でも仕事をしようにも面接になかなか通らない。ようやく決まったのが、友人がやっていたコーヒー豆を扱うショップのアルバイトでした」
現在都内に10店舗を構え、この秋には台湾への進出も果たす猿田彦珈琲。店に行ったことがないという人でも、缶コーヒー「ジョージア ヨーロピアン」に書かれた「猿田彦珈琲監修」という文字には見覚えがあるのではないだろうか。大塚が東京・恵比寿に約8坪の小さなコーヒーショップを出したのは、2011年6月。彼は、そこからわずか7年で、この猿田彦珈琲を年商10億円の企業に育て上げた。
猿田彦珈琲は、一般的なカフェや喫茶店とは異なる特長を持つ。それは、ここが豆の買いつけから輸入、管理、焙煎や抽出までを自社で行うスペシャルティコーヒーの店だということ。だからこそ舌の肥えた客は、一度、猿田彦珈琲を体験してしまうと、他の店には行けなくなる。