18のレストランの鍋をピカピカに磨く
札幌グランドホテルから帝国ホテルを経て、20歳にして駐スイス日本大使館料理長に就任、その後は『ジラルデ』『トロワグロ』『アラン・シャペル』など数々の世界最高峰の三つ星レストランで腕を磨く・・・という経歴を知れば、誰もが三國清三はそういう星の下に生まれた人間なのだと思うに違いない。
けれど、華々しい経歴だけでは、彼の人生の半分を語ったことにしかならない。
三國は増毛と言う北海道の小さな漁村に生まれた。中学校を卒業すると、札幌の米屋で住み込みの丁稚奉公を始める。中学校のクラスで高校に進学しなかったのはふたりだけ。その米屋の娘が作ったひと皿のハンバーグから、彼の人生が始まる。
「そんな食べ物を見るのは生まれて初めてだから、何だかわからないわけです。こわごわ箸を伸ばしたら、こんな旨いものが世の中にあったのかと(笑)。恥ずかしながら聞きました『何て料理だべ?』って」
ハンバーグが自分の人生を決めたと言って三國は笑う。米屋は夜学に通わせてくれた。三國は夜間調理師学校を選んだが、それで卒業後の進路が決まった。札幌グランドホテルだ。
「娘さんが言うわけ。札幌グランドホテルのハンバーグはこんなもんじゃないって。そこに就職したいって言ったら、絶対無理だと。高卒以上じゃないと採用してくれないわよって」
札幌グランドホテルでテーブルマナーの研修があった。その帰り際、三國は一計を案じてレストランの厨房に隠れる。
「責任者が来るまで隠れて、飛びだして直談判したの。働かせてくださいって。呆れられたけど、切々と訴えたら、パートなら飯炊きのおばちゃんがひとり辞めたとこで空きがあると。従業員用の飯炊きだから、厨房に立てるわけじゃないんだけどさ」
半年夢中で皿や鍋を洗い続けてたら、特例で正社員にしてくれた。寮の部屋に帰らず、厨房で朝までオムレツをつくり、肉を焼く練習をした。休みの日は鶏肉工場で鶏を捌いた。18歳になる頃にはレストランの料理で作れないものはなくなっていた。
「先輩が言うわけですよ。『お前はここで天狗になってるけど上には上がいる。東京の帝国ホテルには、村上信夫というフランス料理の神様がいるんだ』って。紹介状を書いてもらって、津軽海峡を初めて渡りました。村上さんは帝国ホテルの総料理長、1000人の料理人の頂点。会ってはくれたけど、オイルショックで正社員の依願退職を募っている時期だった。パート扱いの洗い場にしか空きがないと。で、また皿洗いに逆戻り。だけど、なんとかなると思っていた」
ところが2年間皿洗いを続けても、社員への道は開かれなかった。8月10日の二十歳の誕生日に、今年いっぱい働いて増毛に帰ろうと決める。そしてその日から毎日、ホテル内のレストランの厨房を回って鍋を洗った。
「帝国ホテルには18店舗のレストランがある。鍋洗いは誰もやりたがらないから、喜んでやらせてくれた。最後に爪痕を遺したかったんです。下働きしかできなかったけど、俺は帝国ホテルのレストラン全部の鍋をピカピカに磨き上げたんだって」
3ヶ月後に奇跡は起きた。