記者時代に培った“学ぶ力”
北海道苫小牧市を拠点とする會澤高圧コンクリートの家に生まれた會澤祥弘氏。だが、大学では文学部を選び、卒業後は日本経済新聞社に就職した。
「正直なところ、いずれは家業を継ぐことになるかもしれないという薄っすらとした思いはありましたが、まずは自分の好きな道を極めたいなと。12年間、記者生活を送り、最終的にはニューヨークで米州編集総局記者を経験しました。この12年間の記者時代が、学ぶことの大切さを教えてくれた。取材を続けていると、知らないことがたくさん出てきます。さまざまな国の歴史や文化、業界特有の専門性の高い知識、その業界の最新動向……。でも、知らないでは済まされない。とにかくキャッチアップするために裏で“陰徳”を積むんです。要するに情報のアップデート。時代の変化に置いてけぼりにならないようアンテナを張り続けるという習慣、これが記者時代に培った私の大きな財産です」
1998年、會澤氏は日本経済新聞社を辞め、北海道に戻り、會澤高圧コンクリートに入社した。もしも記者生活を経験することなく新卒で家業を継いでいたら、「今の自分も今の会社もなかったでしょうね」という。
「家業をそのまま継げば、それなりに安泰だったでしょうし、従来の経営方針に黙って従ってやるという道もなかったわけではない。でも、ダメでしたね。どうしてこうしたやり方なんだろうと、いちいち疑問が湧くからです。私は2009年に研究開発機関として『アイザワ技術研究所』を創設しましたが、研究員たちと最初にやったのはプリニウスの『博物誌』を読む込むことでした。コンクリートは古代ローマからの歴史があります。ローマンコンクリートにこそ次の時代を考えるヒントが隠されているのではと考えたのです。学びの対象は今の事象に限りません。いにしえにも及ぶのです」